大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡家庭裁判所花巻支部 昭和31年(家)3号 審判

申立人 相川ツル(仮名)

相手方 相川太郎(仮名)

主文

相手方は申立人を扶養する義務を負担する。

相手方は申立人に対し、本審判確定の日より毎月金千五百円をその月二十五日限り支払わなくてはならない。

理由

本件申立の趣旨は、相手方は申立人に対し昭和三十年十一月より毎月金五千円宛の扶養料を支払えとし、その理由の要旨は、申立人は相手方の父相川三郎の後妻として昭和六年九月○○日事実上婚姻し同棲中同七年九月○日その戸籍届出をし右三郎は昭和十四年十一月○○日死亡したが、相手方とは一親等の姻族の関係にある。ところが昭和三十年九月○○日相手方は申立人名義の納税告知書が来ていることから申立人と口論の末、申立人を厄介者だといつて平手で同人の頬を殴打した。そのため申立人はその翌朝生家に帰り、その翌日(九月○○日)生家におる甥を同伴して相手方と交渉したが相手方は爾後申立人を扶養しない旨主張するので止むなく生家に戻つた。申立人は右三郎と婚姻後今日まで二十五年間相手方等と同居し、家政を助けて来たものであるから、申立の趣旨のとおりの扶養料の支払を求めるというにある。

本件は調停を申し立てたものであるが、これは当事者は一親等の姻族関係にあること記録添付の戸籍謄本で明らかであるから、相手方に扶養の義務を負わせ且つその扶養の請求を求めたものと解すべきである。

記録に編綴の筆頭者相川太郎の戸籍謄本、家事調査官○○○○○の調査報告書、証人高橋吉郎、同工藤よし、同山下ハルの各証言、申立人、相手方の審尋の結果によれば、申立人は昭和六年九月○○日相川三郎と事実上の婚姻をして同棲し、同七年九月○日その届出をしたが、当時右三郎とその先妻タミとの間に生れた相手方がいた。それで当時においては申立人と相手方はいわゆる継親子関係を生じ、共に同居して共同生活をするにいたつた。その後申立人夫婦には昭和七年八月○○○日娘ツギが生れ相手方は昭和十一年二月○○日井橋マツと婚姻し、その間に長女ミヨ(昭和十一年九月○○○日生)、長男太市(同十五年四月○日生)、二男護(同十六年十二月○日生)、二女英子(同十九年八月○○日生)、三女ミサエ(同二十三年三月○○日生)、四女ひさ子(同二十五年八月○○日生)が生れたが、昭和十四年十一月○○日右申立人の夫三郎は死亡し、相手方がその家督相続をして申立人と相手方とはとかく融和を欠きがちであつたが、右親族等は共同生活を営んできていた。もつとも右申立人の娘ツギは昭和三十年九月○日齊藤晃と婚姻して別居するにいたつた。そして相手方は十六才の頃から今日まで国鉄に勤務し、申立人は専ら家業の農業および家事に従事してきたのである。ところが昭和三十年九月○○日納税のことに端を発し口論となり、相手方は申立人を厄介者である等悪口をいつて殴打したため前記の如く普段から融和を欠いていたためもあり、申立人は遂にその翌○○日家を出て生家である○○市○○○○○の甥高橋吉郎方に身を寄せ、同人や相手方隣人等の復帰の斡旋にもかかわらず双方の入れるところとならず、申立人はその後一時右娘ツギ方に寄寓したが、昭和三十一年春頃から同市○○野原一郎方の家事手伝として臨時に雇われ今日にいたつていることが認められる。

そこで先ず申立人が要扶養者であるかにつきみるに、前掲戸籍謄本、同家事調査官の報告書、○○市長の昭和三十一年十二月十日付、○○市福祉事務所長の同月十一日付各回答書、当事者双方および小山英二の各審問結果によれば、申立人は当四十六年でとくに病気とか身体的故障等はないが、特殊の技能や学問もないので、稼働能力はあるも炊事洗濯等いわゆる家事労務その他肉体労働に従事し得る程度のもので、これによる収入は一月金二千五百円位というべく、他方その生活費は食料、衣類、住居等に要するものおよび諸雑費等一切を合せ最少限度一月金五千円を要することが認められ、一月金二千五百円相当の生活費の不足を生じ、申立人には何等資産がないことが明らかであるから扶養なくしては生活できないものであることが肯認できる。

よつて次に相手方に申立人を扶養すべき義務を負わせるべきかであるが、申立人には法定の扶養義務者として直系卑属である齊藤ツギのあること前認のとおりで、また記録添付の戸主高橋新蔵の除籍謄本、右○○町長の回答書、○○市長の昭和三十一年二月二十日付、同月二十九日付回答書によれば、姉高橋ハナ、同田辺トキ、同高橋マツ、同工藤ナカおよび婿養子である右ハナの夫高橋与市が生存している。けれども前記家事調査官の報告書によれば、右齊藤ツギは無資産で、その夫が十七坪の居宅を所有し大工として年十二万円位の収入で長男(当一才)と三人の共同生活を営み、右高橋ハナとその夫与市は、共に老令で稼働力なくハナ名義の資産はなく与市名義のものとして宅地七十八坪、原野一畝十九歩があるも三男高橋正治に同居扶養されており、正治は田畑合計約一町歩、原野一反八畝二十歩の外宅地、居宅を所有し農業の傍ら大工を働き年収約二十一万円で、右ハナ夫婦正治夫婦にその子二人(当二才と十才)の六人家族であり、右田辺トキは同人名義の資産なく老令で稼働力なく養子三造に同居扶養され、三造は同人名義の田四反六畝四歩の外亡養父清市名義の田一反五畝十六歩と居宅があり、農業を営み年収約三十万円で他に約三十六万円の預金があつて右トキ、三造夫婦にその子(当五才)の四人家族、高橋マツは資産なく長男芳一と同居し、芳一は八坪七合の居宅があるのみで、その家族はマツと芳一夫婦にその子二名(当六才と一才)およびマツの娘一人(当二十七才)の六名で夫々の農事の日雇等による収入で生活している。右工藤ナカは同人名義の資産なく、夫充治名義のものとして田約一町三反、畑七反他に宅地、居宅があり、長男夫婦にその子一人(当一才)の五人家族で農業を営み年収約二十二万円で生活しておるという状態で、右いずれも殆んど余力なき生活をしている。ただ右トキの家庭は割合余裕ある生活をしているものの、トキは老令でその生計は養子三造の肩にかかつているのである。他方相手方は国鉄職員として本俸月額二万二千八百円の支給を受け、別紙目録の田畑居宅を所有し農業をも営み年収総額約四十九万千円であることが認められ、その家族は相手方夫婦とその子六名であること前認定のとおりで内長女は既に○○バス会社に勤務しておることが明らかで、申立人と相手方の身分関係および両者はこれまで二十五年間にわたり同居し共同生活をしてきたことは前認定の如くで、しかも記録添付の土地登記簿抄本、家屋台帳謄本によれば、前記相手方所有家屋は申立人の夫三郎死亡による家督相続により取得したものであり、その他の田畑も右共同生活中において相手方が取得したものであることが明らかである。かかる事情よりすれば相手方に対し申立人を扶養する義務を負わせるのを相当とする。

よつてその扶養の方法程度につき考案するに、申立人と相手方が同居中も融和を欠いていたこと、今回別居するにいたつた事情、その後両名とも復帰の斡旋に応じなかつた事情等前認定の如くであることよりすれば、申立人が復帰し相手方と同居扶養を受けることは適当な方法とは認め難く、従つて金銭扶養によるべきであるが申立人の扶養を要する額は前認定のとおり一月金二千五百円であるも、相手方の生活余力は前認定による資産、収入、家庭生活の状況よりすれば一月金千五百円と認めるを相当とするから、右扶養の額は右余力の限度たる一月金千五百円を相当とする。

ところで相手方は本件につき昭和三十年十一月○○○日なされた調停に出頭しているから同日扶養の請求を受けたものであるというべきであるが、申立人と相手方は一親等の姻族の関係にあること前認定のとおりで相手方は申立人の法定扶養者ではなく、また申立人の請求により直ちにその扶養義務者となるものでもない。家庭裁判所の扶養義務を負わせる旨の審判により初めて申立人を扶養すべき義務を負うことになるのであるから、相手方は申立人に対し本審判確定の日以降毎月金千五百円をその月の二十五日までに支払うべきものとする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 降失良)

別紙目録〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例